最後まで堂々とマイペースに、とっても長生きしてあの世に旅立ったスプリンガースパニエルのトッピー婆ちゃん追悼記録です。
2月3日の節分の日に旅立ちました。来年の節分は2月2日らしいから、来年は立春の日が2月3日。なんにせよ、毎年豆まきのシーズンになると「ああ、トッピーの命日だな」と思い出す仕掛けを作っていったようです。やるな。策士だな。
ということで、前回のつづきです。
動物病院から家へ向かう車の中で、なんとか家まで持ちこたえてがんばって!と、必死に励まし続けるニンゲンでした。
もうずっと前から「トッピーはいつ、どうやってあの世に行くんだろうね?」と何度も考えたし、率直にあちこちで話題にしていました。生きている限り、誰でもいつかは死ぬのだから、そのときは必ずいつかやってくる。それだけは間違いないのだけれど、いつ?どうやって?それは誰にもわからないのでした。
それでも「老犬ホームで、朝になったら冷たくなって発見された」という可能性はなくなりました。「動物病院で、懸命の救命処置も間に合わず死亡した」という可能性もなくなりました。そして「お家に帰る車の中で、息を引き取った」という可能性はまだ残っています。あと少し、もう少しがんばれ。
ということで、ようやくお家に帰ってきました。3ヶ月半ぶりのお家です。
もともとは、こんなふうにニッコニコの笑顔でいつも陣取っていたトッピー専用のスペースに、ばっちりお布団が敷いてありました。在宅療養中の膵臓がん患者が頑張って準備したんですね。「もう自分で体温を作れないから、湯たんぽや電気毛布でしっかり加温してください」と獣医さんに言われていたので、床暖房とニンゲン用の医療用遠赤外線ホットパックもしっかりあっためてありました。
そっとお布団に寝かせたら、急に目をぱっちりあけて、きょろきょろして、鼻をくんくんさせて「あ!おうちだ!」って、気がついたようです。家族とひさしぶりの再会をして、声を聞いて撫でられて、懐かしい匂いの中で安心したのでしょう。車の中ではずっと息も絶え絶えでいまにも死にそうだったのに、だんだん呼吸が落ち着いてきて、そのうち穏やかな呼吸ですやすや寝始めました。
ときどき目を覚ましては、わおーって鳴いて家族を呼び寄せたり、そしてまた眠り、友人や知人が挨拶に来てくれたり、そうやって午後をずっと過ごしていました。これはまだがんばりそうだなーと、家来のニンゲンは徹夜覚悟で添い寝スペースに布団を敷いていましたが、だんだん息が弱くなったのは、19時半ごろ。家族全員に見守られながら、息を引き取ったのは19:55でした。
がんばった。最後まで堂々とよくがんばりました。まさに大往生。いい犬生を存分に生ききりました。
夜の早い時間だったから全員起きていてしっかり見守れたし、ペット葬儀屋さんの翌日午後の火葬の予約もすぐにお願いできました。もしこれが数日遅かったら、悪天候でトッピーは家に帰ってこれなかっただろうし、母も入院してしまっていて死に目に遭えなかったし、火葬もいつできるかわからなかったかもしれない。なにもかもがバッチリ段取られていたかのようなめぐりあわせでした。
夜には、最後の添い寝もしました。もう夜中に何度も何度もトイレトイレって起こされて介助する必要もないし、夜中に何度も目が覚めて「ああ、きっと老犬ホームでトッピーがわめいてる」って心配しなくてもいい。悲しいけどほっとする。
なんだか眠っているような姿で、じーっとみていたら、お腹が呼吸で動くようにしかみえませんでした。とても17歳とはおもえないくらい毛艶もまだまだピカピカだったんですよ。それからいっぱいお花を準備して、午前中は最後の写真をいっぱい撮って、一緒に過ごしました。八王子から古いおともだちが急遽お別れに駆けつけてくれました。なんともありがたいことです。
いまは移動式の火葬車があって、家に来てくれるんですね。(駐車する場所がなければ、専用の会場でできるそうです)老人たちもわざわざ寒い中を出かける必要もなく、自宅前で火葬して、家の中でお骨上げまでできました。
ながいながい介護記録は、Xのながーーーいツリーにしてあります。みてね。
実家にはほぼ常にずっとイヌがいました。初代は雑種のバウザー、二代目はゴールデンレトリバーのマックス、三代目はスプリンガースパニエルのトッピー。みんないいイヌでした。
動物を飼うのはもうこれでおわり。ちょっとさびしいけど、楽しかった思い出をだいじにします。
悲しく寂しい気持ちはもちろんたくさんあるけれど、それと同時にトッピーがようやく肉体の老いや病気の苦しみから解放されてよかったねと、ほっとしています。生きる肉体は必ず老いて、いつかみんなそこから旅立っていくのですから。
膵臓がんステージ4のニンゲンの老婆は「トッピーは犬なのに、なんの問題もないようにちゃんと整えて、いちばんいいタイミングを見計らって、なにがなんでもちゃんとお家に帰ってきて、お家の自分のポジションで半日ゆっくり過ごして、会いたい人たちにもぜんぶちゃんと挨拶して、さいごまで堂々と尊厳をもって死んでいったのね。わたしはこんなふうにちゃんとできるかな?こんなふうに死ねるかしら?」と言いながら泣いていました。だいじょうぶ。トッピーの最後の置き土産は「心配ない。気を遣う必要ない。どうどうと生きて、その時が来たらちゃんと死ぬ」姿を目の前でみせてくれたことなんだとおもいます。
結局のところ、いのちの生き死には、ニンゲンの合理的判断とかあらかじめ考えた計画だけでは計り知れない、とてもじゃないけど手の届かないところになるのだと改めて感じます。
トッピーの介護がつらくてつらくてつらくてつらくてどうしようもなかったときに、書いた記事があります。「ニンゲンの合理的判断」として安楽死の依頼を本気で考えていたときのものです。
このとき易の神様は、要するに「あれこれ策を弄せず、ぜんぶ天に任せなさい」ってわたしに伝えているのですよね。つらいことたくさんたくさんだったけれど、ちゃんとなるようになりました。
トッピーの介護中には、本気で!つらくて!どうにもならなくて!悩んで悩んで、ずいぶんたくさん易で占った記録を残してあるので、これはまた改めて精査して記事にしないとですね。がんばる。