そろそろ7月も終わりらしいので、愕然としています。
5月にはクローズド研究会、それからアカツキさんの研究発表の配信、そこから東西占術の配信と怒涛だった記録はあります。
はるか彼方の昔のような気がするなー。
6月は夏至に合わせて21日と22日に、とってもスペシャルなインナーチャイルドカード会がありました。
これのレポを書こうと思っていたんですよ。いたんですよ。いたんですよ。うそじゃないよ。ほんとうに書きかけていたんですってば。
それがですねーーー
6月23日のどしゃ降りの朝に、末期膵臓がんを自宅療養中の母が不注意から自損事故(!)で右の上腕骨を脱臼&骨折しました。あの人はポケモンGOの中毒でやりすぎなので、どしゃ降りの中をいつもどおりにポケモン取りに2時間散策して帰ってきたところを電動3輪車椅子の操作を誤って自宅前で転倒したんですね。え???なんでそうなるの?愚かっ!愚かっ!愚かすぎる。
そこから毎日毎日いろんな病院に1日がかりで通院続きで、そのあいだもともとの膵臓がんがどんどん悪化して緊急入院して、次から次へと面談やらなんやらでいろんな人が家に来たり(ケアマネとか訪問看護とか訪問診療とかいろいろ)、認知症でも障害でもないのにあいかわらずひとりで食事ができない86歳の爺さんに三食ご飯を出さなきゃだし、いやーほんと無理ゲー。わたしがしぬ。
それでもちゃんと「阿佐ヶ谷七夕ウラナイまつり」のお知らせをお届けすることはできました。
もっともっとたくさん個別のご紹介やプッシュ記事を書きたいんですけど、脳内では書いてるんですけど、おかしいな。どうしてUPされてないのかな???
あ!こちらの動画はもうご覧いただけましたか?
これは録画をUPしたものですけど、こういうの楽しいから本当はもっとたくさんやりたいんですよね。やりたいことだらけなのに、ぜんぜんできてない。こうなってくると「やっぱり自分は仕事が好きなのよなー」としか思えません。
みんなそれぞれいろんな事情があって、子育てとか介護とかなんやかんやをこなしながら仕事をしていたりするわけで、尊敬しています。自分は極力そういうファミリーマターから逃げてきたんだけど、50を過ぎてそのトラップにハマってしまった。
若いときには家族や親族は災厄の元凶としかおもえなくて、家族なんかいらねーよとおもっていて、人のお世話は仕事ならできるけど、家族の世話は嫌い。それなのに逃げきれなかったなーとココロを無にして日々生きていますよっと。
うーん。愛情とかより、行動のほうが役に立つからな。
言葉より行動。こんなときは行動。
どんなに憎んでいても行動は行動。
それでももう重病人もそろそろ最終コーナーを回ったくらいに弱ってきました。昔はマジもんの「毒」だっただけあって(いまは弱毒くらいかな)とにかく生命力と鈍感力が強くてしぶといのですが、さすがに老いと病気には勝てないようです。
以前から本人はずっと「やりたいことをやりたいだけやって命が縮んでもわたしはいいの!」と啖呵を切ってました。だから遊びに行った帰りに怪我して病気が一気に悪化した今回、本人が言ってた言葉がそのまんま現実になったんですよね。やれやれ。
今回の教訓。めったなことは言うもんじゃないですね。
言葉は実現するんです。それにしてもあっさり軽やかに死ぬのではなく、苦しむ時間がより長くなったというのは本人もそこまで想像力が及んでいなかったようです。深く考えもせずに生き死にの話を冗談にしたりしないほうがいいとおもうよ。ほんとに。
世代的なモノなのかよくわからないけれど、母親自身もその周りの人たちも「自分がいつか死ぬ」なんて考えたこともなく70代とか80代になってたってことが、わたしにはまったく信じられない。呆れはてて、つくづく理解に苦しみます。
母の姉、つまり叔母が肺がんで死ぬ時にずっと付き添っていたのですが(私以外は面会謝絶だったんだよ)、そのときの超絶ワガママといまの母の超絶ワガママがあまりにも似過ぎていて、つくづくうんざりします。外面がいいと身内にはほんと最悪なのよな。
ある日突然死んでしまうのと、少しずつ弱って死んでいく病気と、どっちがマシかと言われたら、答えに困ります。
「死に方はガンがいいな」とおっしゃったオジ様、いまごろどうしているかな。
ご存命なら85歳くらいになられているはず。
母には「真夏のクソ暑いときに死ぬのはやめてくれ」と全会一致の意見を伝えてあります。本人も同意。秋のお彼岸過ぎて涼しくなる季節までどうにかしぶとく生き抜いてほしいですが、急変するかもだし、どのタイミングで入院→永眠かは神のみぞ知る、です。
本人は自宅で死にたいんだとおもいますが、さすがに86歳の爺さんのお世話をしながら、それと並行して臨終の面倒みるのは無理。早い段階で「家で死ぬのは諦めてくれ」と言いました。それは本人もさすがに理解したようで「病院で死にます」と言ってます。
とはいえ、どうやって死ぬかはわからない。
そもそも予定通りに行くかどうかもわからない。
いちおういろいろ段取ってできる限りの準備はしてあるけど、それでも選べない。
まぁなんとかなるでしょ、としか言えん。そんなもんでしょう。
それが終わったら終わったで、とにかくモノだらけ、溜め込みだらけの実家を片付けるミッションがでてくるのですが、いまはまだ何も考えたくない。まずは「お彼岸過ぎまで」を脳内で唱えながら、ココロを無にして生き延びたいです。わたしが。
ということで、いつになったら仕事復帰できるのかわかりませんが「犬と両親がぜんぶ死んだらわたしは復活する」という予言はしてあるので、だいたい道半ばくらいまではきたかな。そのうち必ず復活しますから。たぶんね。
またおたよりします。